トロイア戦争の豆知識30選
新しいことを覚えたら、クイズで力試し。
英語版クイズをもとにAIで日本語で作成しました。出典は日本語版ウィキペディアにリンクしています。
全部知ってた?クイズで証明しよう。
30問のクイズに挑戦巨大な木馬に兵を潜ませる作戦を考案した、アカイア方の知将は誰?
この作戦は、ヘクトールとアキレウスの没後に膠着していた戦況を動かした。『小イーリアス』では女神アテーナーの考案とされる。
パリスに連れ去られたヘレネーは、どの国の王メネラーオスの妃だった?
パリスは若さゆえに富と権力を措いて愛を選び、アプロディーテーの誘いに乗って王妃を連れ去った。
トロイアの発見者で、ミュケーナイを発掘して文明を見出した人物は誰?
彼はドイツの富豪でアマチュア考古学者だった。見出された文明はペロポネソス半島に広く所在し、クレーテー島にまで広がっていた。
ギリシア神話のトロイア戦争で攻められたトロイアは、どの地域にあった?
遠征したのはミュケーナイを中心とするアカイア人の軍勢。トロイ戦争、トロヤ戦争という表記もみられる。
『オデュッセイア』の主人公が、故郷に戻るまで諸国を漂流した期間は?
『オデュッセイア』はホメーロスの英雄叙事詩。トロイア戦争の物語からは「叙事詩環」と呼ばれる作品群も派生した。
ヘレネー誘拐が国を滅ぼすと予言したが、聞き入れられなかった王女は誰?
彼女はパリスの妹にあたる。予言が聞き入れられなかったのはアポローンの呪いのためで、後には木馬の計も見抜いている。
トロイア滅亡後の遍歴を描くラテン語叙事詩『アエネーイス』の作者は誰?
主人公はトロイアの滅亡を生き延びたアイネイアース。ギリシアの叙事詩群とは別に、ラテン詩人が創作した物語である。
パリスの審判で、女神アテーナーが約束した見返りは何?
ヘーラーは世界を支配する力を、アプロディーテーは最も美しい女を約束した。三女神はそれぞれ最も美しい装いを凝らして審判に臨んだ。
トローアス地域を挟み、西のミュケーナイ人と対峙した東の帝国はどれ?
トロイア(イーリオス)はトローアス地域に所在し、エーゲ海の勢力と東の帝国という二大勢力のはざまにあった。
トロイアから帰郷した総司令官アガメムノーンを暗殺したのは誰?
アガメムノーンはミュケーナイの王で、メネラーオスの兄。遠征軍を率いて勝利を収めたが、故郷で命を落とした。
トロイア戦争が史実なら、その時期は何時代の末期と見られてきた?
この時期は紀元前2000年期の終わり頃にあたるという点で、古今の学者たちの見解は一致していた。
トロイアの木馬の計を見抜いたが、海蛇に絞め殺された神官は誰?
彼はアポローンに仕える神官だった。警告は生かされず、策略にかかったトロイアは一夜で陥落した。
神々も二派に分かれたトロイア戦争で、ギリシア側に味方した神は誰?
ギリシア側にはほかにヘーラーとアテーナーがつき、アポローンらはトロイア側に味方した。
アカイア軍の指揮官たちの末路を伝える悲劇『アガメムノーン』の作者は誰?
戦争そのものはアカイア遠征軍の勝利に終わった。それでも勝者の側の名だたる将たちに、帰路や帰郷後の災難が待っていた。
『イーリアス』の物語は、トロイア戦争の開戦から何年が過ぎた頃に始まる?
物語の起点は、双方に犠牲を出しながら戦いが長引いていた時期。戦争末期の様子は『アイティオピス』などでも語られる。
19世紀末、ドイツのアマチュア考古学者が9層の都市遺跡を見出した丘は?
丘はアナトリア半島西北部の沿岸近くにある。それまでトロイアの都城は、作品の中で語られるだけの存在と考えるのが一般的だった。
粘土板文書に残る線文字Bは、主にどんな情報を扱う文字だった?
このため文化についての具体的な記述には適していなかった。線文字Bで書かれた粘土板文書は、ピュロスなどで多数発見されている。
神話で大神ゼウスがトロイア戦争を起こすと決めた目的は何?
ゼウスは秩序の女神テミスと案を練り、大戦によって人類の大半を死に至らしめると決意した。戦の起因は叙事詩『キュプリア』に詳しい。
女神アテーナーの逆鱗に触れ、船を沈没させられて死んだアカイアの将は誰?
怒りを買ったのは、女神の神殿でトロイアの王女に乱暴を働いたため。勝者の側にも悲劇的な最期を迎えた者がいた。
トロイア戦争で両軍が挟んで対峙した、海と街の間を流れる河はどれ?
トロイア軍は強固な城壁を持つ市街に籠城した。上陸したアカイア軍は浜に陣を敷き、河を隔ててにらみ合った。
アナトリア半島西端のトロイアでも多数発見された、ミュケーナイの産物は?
ミュケーナイの繊維や香水、オリーブオイルなどは、エーゲ海域やカナン、メソポタミアでも需要があり、輸出されていた。
1932年に始まった発掘で、トロイア第6h市を破壊したとされた原因は何?
それまで第6h市の破壊は、戦争など人為的なものとも考えられていた。遺構そのものは、豊かで繁栄した城市だったことを示している。
トロイア第6市と第7市は、紀元前1300年から前1000年の間に何度破壊された?
最後の破壊の後、都市は数百年にわたって廃墟となっていた。戦争による陥落があったとすればこのうちのどれかと思われるが、確定的なことは分からない。
トロイア戦争を扱う「叙事詩環」として知られる叙事詩は、全部でいくつ?
ホメーロスの二つの叙事詩のほか、『キュプリア』や『イーリオンの陥落』などが含まれる。
コルフマンらの調査で、トロイア第7a市が滅びたとされたのは紀元前何年頃?
第7a市の始まりは紀元前1300年頃とされた。広大な都市域が火災で滅びたことは確認されたが、攻撃したのが誰なのかは分からなかった。
トロイア遺跡の下から第2層は、後に紀元前何年頃のものと分かった?
この年代は、伝統的に考えられていたトロイア戦争の時期より1000年も早かった。火災の跡があったため、当初は戦争時代の層と推測されていた。
1890年以降、トロイア遺跡の発掘を引き継いだ建築家は誰?
彼は先代の発掘者に協力していた人物。1893年と94年に発掘を行い、下から6番めの層に非常に大きな城壁があることを見出した。
トロイア遺跡の第7a層こそトロイアであろうと判断した考古学者は誰?
第7a層は、その前の層と文化的に連続している。実際に第7a市は火災で滅びており、遺跡には人骨の破片などが散らばっていた。
専制主義的な都市国家だったミュケーナイ文明で、頂点に立つ帝王の呼び名は?
宮殿を中心として、少数の支配階級と官僚が多数の庶民や奴隷を支配する社会だった。
1988年にトロイア第6市と第7市を再調査したコルフマンの所属大学は?
コルフマンのチームは、この遺跡では初めてとなる放射性炭素測定を試み、城塞の外に広がる都市域の範囲も調べた。