英語版クイズをもとにAIで日本語で作成しました。出典は日本語版ウィキペディアにリンクしています。
デリーは12世紀以降、いくつもの王朝が都を置いてきた北インドの古都。ムガル帝国の旧市街オールドデリーと、英国が建設したニューデリーが隣り合う。 このクイズでは、城塞都市の変遷や皇帝たちの逸話、遷都の経緯といった歴史から、名所、気候、交通、スポーツまでを幅広く出題する。 やさしい問題から歴史好き向けの難問までそろえた。
全30問の答えと解説。クイズで遊ぶ
Q 011857年にデリーが一時占拠され、ムガル皇帝も加担した出来事は?
インド大反乱
当時の皇帝バハードゥル・シャー2世は名目的な存在にすぎず、デリーは同じ年のうちに奪回された。
Q 02オールドデリー北東端に立つ「デリー城」の別名は?
レッド・フォート
ムガル帝国の第5代皇帝が建設し、自らの居城とした城である。
Q 03デリー南部にあるロータス寺院は、どの宗教の寺院?
バハイ教
ハスの花のような形で知られ、信仰に関係なく誰でも内部を見学できる。
Q 04歴代王朝が都を築いた「デリー三角地」の東を区切る川は?
ヤムナー川
デリーには12世紀以降、各王朝の首都が置かれたが、その位置は王朝ごとに異なっていた。
Q 05現在オールドデリーと呼ばれる旧市街を築いたムガル皇帝は?
シャー・ジャハーン
建設当時、この旧市街は皇帝の名にちなんで「シャージャハーナーバード」と呼ばれていた。
Q 06ジャイ・シング2世が1724年に建てたジャンタル・マンタルの用途は?
天文台
建設者はアンベール王国の君主で、場所はコンノートプレイスの少し南にあたる。
Q 071526年、ムガル帝国の創設者バーブルが首都と定めた都市は?
アーグラ
デリーの南方にある都市で、息子のフマーユーンは逆にデリーへ新しい都市を建設して都とした。
Q 08オールドデリー中央部にある、インド最大とされるモスクは?
ジャーマー・マスジド
オールドデリーはムガル帝国後期の都だった地域で、歴史的建造物が多く残る。
Q 092000年代にデリーがインド第2の人口となった時、首位だった都市は?
ムンバイ
独立以来、産業の急速な発達とともにデリーの人口は急増した。
Q 10オールドデリー南東端にある、マハトマ・ガンディーの記念碑は?
ラージ・ガート
参拝客が多く、斜め向かいにはガンディー記念博物館がある。
Q 11デリー征服後、ゴール朝の将軍がラール・コート跡に建設したのは?
クトゥブ・ミナール
この将軍は1192年にムスリム軍を率いてデリーを征服し、この地を北インドの拠点と位置づけた。
Q 12デリー城からまっすぐ西へ延びる、オールドデリーの目抜き通りは?
チャーンドニー・チョウク
オールドデリーの北側にはデリー駅があり、ラージャスターン州方面への列車が発着している。
Q 13デリーから再び首都を移し、街の荒廃を招いたフマーユーンの息子は?
アクバル
デリーが再びムガル帝国の都となるのは1648年のことで、そこから現在の街の基礎が築かれた。
Q 14デリー・スルターン朝時代の1398年、デリーを征服・破壊した人物は?
Q 21ムガル帝国の滅亡後、一地方都市となったデリーが所属した州は?
パンジャーブ州
デリーがこの州から切り離されて独立州となったのは、遷都が決まった1911年のことである。
Q 221803年、英国がデリーの支配権を獲得する結果となった戦争は?
第二次マラーター戦争
それ以前の1771年から、デリーは諸侯シンディア家の勢力下に置かれていた。
Q 23ニューデリーが英領インドの首都に正式に制定されたのは何年?
1931年
デリーは1912年から、英領インド帝国の暫定的な首都という位置づけだった。
Q 241948年、マハトマ・ガンディーが暗殺されたデリー邸の所有財閥は?
ティムール
この被害を受けながらもデリーには常に都が置かれ、北インドの要衝として発展を続けた。
Q 15ニューデリー駅前に広がり、バックパッカーが集まる安宿街は?
パハールガンジ
ニューデリー駅は長距離列車が発着するデリーのターミナル駅で、コンノートプレイスの北にある。
Q 16ムガル皇帝バハードゥル・シャー2世がデリーから流刑された先は?
ミャンマー
この流刑によってムガル帝国は完全に滅亡し、デリーは帝国の都としての歴史を終えた。
Q 171206年、ゴール朝の解体に乗じてデリーで建国された王朝は?
奴隷王朝
以後1526年まで、デリーに都を置く5つのイスラーム王朝が相次いで興亡し、総称してデリー・スルターン朝と呼ばれる。
Q 18コンノートプレイスを中心とするニューデリーを設計した建築家は?
エドウィン・ラッチェンス
インド門と大統領官邸、それらを結ぶラージパト通りが描く三角形が街の主要部分になっている。
Q 19インド門の東にあり、フマーユーンが改修して居城とした城塞は?
プラーナ・キラー
「オールド・フォート」とも呼ばれ、ここから南へ行くとフマーユーン廟がある。
Q 201739年にデリーで孔雀の玉座などの財宝を略奪したペルシャの君主は?
ナーディル・シャー
衰退したムガル帝国にデリーを守る力はなく、その2年前にはマラーター王国の攻撃も受けていた。
ビルラー財閥
事件が起きたのは独立の約半年後にあたる1月30日で、邸宅はニューデリー南部にあった。
Q 25フマーユーン廟の向かいにある聖者廟に祀られたイスラームの聖者は?
ニザームッディーン・アウリヤー
この廟はインド有数の聖者廟とされ、ニューデリーの一角に位置している。
Q 26日本など各国の大使館が並ぶ、ニューデリー南西の地区は?
チャーナキャプリー
英国、ドイツ、中国、フランス、パキスタンなどの大使館もこの地区に軒を連ねている。
Q 27遷都後、ニューデリー完成まで過渡的に首都機能を担った地区は?
シヴィル・ラインズ
オールドデリーの北にあたり、現在はデリー大学の事務局や北キャンパスなどがある。
Q 281354年、デリー三角地の北端近くに築かれた新城塞都市は?
フィールーザーバード
それまでの城塞都市は三角地の南端に集中していた。築いたのはトゥグルク朝の君主フィールーズ・シャーである。
Q 29デリーに初めて鉄道が開通したのは何年?
1867年
19世紀末にはインドの鉄道網における北インドの結節点となり、衰退していた街は繁栄を取り戻していった。
Q 301327年に計画され、未完に終わったデリーの大城塞都市の名は?
ジャハーン・パナー
ムハンマド・ビン・トゥグルクがラール・コートとシーリーをつなぐ構想を立てたが、経済の混乱で頓挫した。