英語版クイズをもとにAIで日本語で作成しました。出典は日本語版ウィキペディアにリンクしています。
インド洋は太平洋、大西洋と並ぶ三大洋の一つ。季節風と海流を利用した交易が古くから行われ、東西を結ぶ海の道の主要部となってきた。 このクイズでは、海底の地形や海流といった自然のしくみから、ダウ船や大艦隊が行き交った交易の歴史、ヨーロッパ諸国の進出、現代の国際関係までを出題する。 地理が好きな人も世界史が好きな人も、腕試しにどうぞ。
全30問の答えと解説。クイズで遊ぶ
Q 01インド洋で発生する熱帯低気圧は何と呼ばれる?
サイクロン
発生が多いのは4月から5月と10月から11月の年2回で、北上して上陸すると多くの死傷者が出ることがある。
Q 02インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突して形成された山脈は?
ヒマラヤ山脈
この衝突をもたらしたプレート運動でインド洋も形成され始め、海嶺ができるとともに海底が拡大していった。
Q 03マラッカ海峡の東端にあり、太平洋とインド洋を結ぶ港湾都市は?
シンガポール
インド洋はスエズ運河によって地中海とも通じており、東西両洋を結ぶ主要な交易路となっている。
Q 041990年代以降、政府の崩壊と内戦を背景に沖合で海賊が猛威を振るった国は?
ソマリア
これに対処するため、2008年以降は世界各国が共同してこの海域に艦船を派遣し、海賊の取り締まりを行っている。
Q 05明の永楽帝が1405年以降、7回にわたりインド洋へ派遣した艦隊を率いた人物は?
鄭和
艦隊は第3回航海まではインドのカリカットまでしか来なかったが、第4回以降はアラビア半島まで航海し、別働隊は東アフリカまで来航した。
Q 06元王朝の使者に随伴して海路でイルハン朝へ向かい、ヴェネツィアへ帰還した人物は?
マルコ・ポーロ
13世紀にモンゴル帝国がユーラシア大陸中央部をほぼ制圧するとユーラシア全域の交流が盛んになり、インド洋交易もさらに隆盛に向かった。
Q 071497年7月8日にヴァスコ・ダ・ガマが出発したポルトガルの都市は?
リスボン
艦隊は喜望峰を回って東アフリカに達し、そこで雇った水先案内人に導かれて翌年5月20日にインドのカリカットに到着した。
Q 08アッバース朝以降、インドの香辛料や中国の絹を西へ運んだ木製の帆船は?
ダウ船
東アフリカからは象牙や犀の角、鼈甲が、ヨーロッパやオリエントからはガラス製品や葡萄酒が運ばれていた。
Q 09ペルシア湾を中心とする海上交易を発達させたアッバース朝の首都は?
バグダード
王朝が衰えると、エジプトのファーティマ朝やマムルーク朝の繁栄にともない、帆船の行き来は紅海が中心になっていった。
Q 10東アフリカ沿岸の都市に成立した、イスラム色の強いバントゥー系文化は?
スワヒリ
アラブ人商人がインド洋交易を担うようになり、15世紀ごろまでに東アフリカの諸都市はほぼイスラム化していた。
Q 11イギリスのインド洋での覇権を強めたスエズ運河の開通は何年?
1869年
開通はヨーロッパとアジアの距離を半分近くにまで縮め、インドやマレー半島などインド洋沿岸地域の貿易を活発にした。
Q 12『世界国尽』でインド洋を「インド海」と記した人物は?
福沢諭吉
「インド洋」の名はインドに由来する。日本では時代によって異なる呼び名が世界地図に記されてきた。
Q 131967年にスエズ運河が封鎖される原因となった戦争は?
第三次中東戦争
封鎖の間、東西交易の船は喜望峰回りでインド洋中央部を通過するようになり、この海の重要性は変わらなかった。
Q 141661年にポルトガルからイギリスへ割譲され、東インド会社海軍の根拠地となった都市は?
Q 21封鎖されていたスエズ運河が再開されたのは何年?
1975年
再開によって、喜望峰回りに移っていた東西交易の航路は再びインド洋北部を通過するものに戻った。
Q 221650年にオマーンのヤアーリバ朝がポルトガルから奪還した良港は?
マスカット
奪還後のオマーンはこの港を拠点にインド洋交易に乗り出し、東アフリカの交易諸都市をめぐってポルトガルと激しく争った。
Q 23伊東マンショら4人の使節団がインド洋を横断してローマに着いたのは何年?
1585年
これより早い1549年には、宣教師フランシスコ・ザビエルが日本人ヤジロウを伴い、インドのゴアを出発して日本へ向かっている。
Q 241025年に海軍を遠征させてシュリーヴィジャヤを占領した南インドの王朝は?
ボンベイ
18世紀に入ると、イギリスはオランダの国力衰退に乗じてインド洋地域での勢力を拡大していった。
Q 15インド洋と大西洋の境界となる東経20度線が延びるアフリカの岬は?
アガラス岬
反対側の太平洋との境界は東経146度55分線に置かれている。南は遠く南極海に囲まれる。
Q 161世紀ごろからマダガスカル島へ移住したマレー系の人々が暮らしていた島は?
ボルネオ島
移住は数百年間続いた。途中で補給を行った後、南東貿易風に乗って一気にインド洋を直航したと考えられている。
Q 17インドへのルート確保のため、イギリスが1814年に獲得した植民地は?
ケープ植民地
19世紀に入ると東インド会社は貿易独占権を失ったが、P&O社などが整備した汽船航路でもイギリスは圧倒的な強さを誇った。
Q 18ヴァスコ・ダ・ガマの艦隊が1498年4月13日に到着した東アフリカの港は?
マリンディ
この航海で喜望峰回り航路を確立したポルトガルは、以後積極的に艦隊をインドへ送り、インド洋での地歩を急速に固めていった。
Q 19エルニーニョに似た、インド洋で発生する大気海洋相互作用現象は?
ダイポールモード現象
発生海域の名を冠した呼び名もあり、IODと略される。インド洋沿岸地域の気候に大きな影響を与えている。
Q 205世紀初頭、セイロン島からの帰路に海路を取って中国へ戻った僧は?
法顕
7世紀にはシュリーヴィジャヤを経由してインドのナーランダ僧院で仏典を学ぶ僧も現れ、この航路でヒンドゥー教や仏教が東南アジアに伝わった。
チョーラ朝
遠征を命じたのはラージェーンドラ1世。この王朝は強力な海軍を持ち、モルディブ諸島にまで影響力を広げたが、13世紀に滅亡した。
Q 251509年にポルトガルがイスラム諸国の連合艦隊を破った海戦は?
ディーウ沖海戦
連合艦隊を組織したのはオスマン帝国、マムルーク朝、グジャラート・スルタン国。勝ったポルトガルはインド洋の制海権を確立した。
Q 261513年にポルトガルが攻略に失敗し、紅海ルート掌握を逃した要衝は?
アデン
紅海を通じて地中海に至る従来の交易ルートは1530年ごろには復活し、以後は喜望峰ルートと並んで2つのルートが併存した。
Q 27インド洋の3つの海嶺がつながる「三重点」が沖にあるモーリシャス領の島は?
ロドリゲス島
つながるのは、ほぼ東西に走る南西インド洋海嶺と南東インド洋海嶺、南北に走る中央インド洋海嶺の3つである。
Q 28アレクサンドロス大王がインダス川からユーフラテス川まで航海させた人物は?
ネアルコス
これに先立つ紀元前6世紀には、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世がアラビア半島からインダス川にかけての探検を行わせている。
Q 29アフリカにおけるインド洋交易の南端だった、ザンベジ川河口に近い港は?
ソファラ
これより南には海上交易ルートは到達していなかった。アフリカの東海岸では10世紀以降、徐々にイスラム教が勢力を拡大した。
Q 30季節風を利用してローマ帝国と交易していた南インドの王朝は?
サータヴァーハナ朝
紀元後40年から70年ごろに書かれた『エリュトゥラー海案内記』には、紅海沿岸からインド西海岸にいたるルートと貿易港が記されている。