英語版クイズをもとにAIで日本語で作成しました。出典は日本語版ウィキペディアにリンクしています。
スペインかぜは、1918年から1920年頃にかけて世界中で大流行したインフルエンザの通称。第一次世界大戦のさなかに広がり、人類史上最も多くの死者を出したパンデミックのひとつとされる。 このクイズでは、名前の由来、3つの波の広がり方、起源をめぐる諸説、日本での被害、病原体が解明されるまでの道のりを扱う。 やさしい問題から歴史好き向けの難問までそろえた。
全30問の答えと解説。クイズで遊ぶ
Q 01スペインかぜの病原体であるA型インフルエンザウイルスの亜型は?
H1N1
流行当時はウイルスの分離技術が十分に確立されておらず、マウスやウサギに病原性を示さなかったこともあって、病原体の正体は長く不明のままだった。
Q 02第一次世界大戦中、感染被害を自由に報道できたスペインの立場は?
中立国
スペイン発の報道が注目された結果、発生源はスペインだと広く信じられ、この通称が世界に定着した。地理的な起源は今も特定されていない。
Q 031919年4月、パリでの講和会議に出席中にスペインかぜに罹患した米大統領は?
ウィルソン
大統領はドイツに過大な賠償を課すべきではないと考えていたが、発症で出席できない間に英仏両国が議論を主導したとされる。
Q 041918年11月、ロンドンやリマで感染拡大を招いた祝賀行事は何を祝った?
休戦協定の成立
ナイロビでも同じ祝賀行事が感染を広げた。それでも第2波は1918年12月までに世界的にほぼ収束した。
Q 05スペインかぜに感染したとされる人は全世界で何人?
5億人
当時の世界人口のおよそ27%にあたり、米CDCは3分の1としている。北極圏や太平洋の島々の住民も感染を免れなかった。
Q 06スペインかぜの記録上最初の症例が出たファンストン基地がある州は?
カンザス州
1918年3月4日、兵士アルバート・ギッチェルが発熱、頭痛、喉の痛みを訴えた。ただし、それ以前にも感染例があった可能性が高いとされる。
Q 07スペインかぜ第2波が非常に高い致死性を示したのは健康な何歳の層?
25–35歳
一般にインフルエンザの犠牲者は乳幼児や70歳以上の高齢者、免疫不全者に集中する。働き盛りの層が多く亡くなったことは際立った特徴とされる。
Q 08スペインかぜ流行時の高齢者が免疫を得ていたとされる1889年頃の流行の通称は?
ロシアかぜ
スペインかぜでは高齢者の死亡率が低かった。アメリカの記録では、1918年から1919年までの死者数の99%が65歳未満だった。
Q 09スペインかぜの全期間で最も多くの死者が出たのは1918年の何月?
10月
第2波のさなかのことである。アメリカでは1918年9月から12月までに最大29万2000人の死亡が報告され、1915年の同時期の最大2万6000人を大きく上回った。
Q 10日本でスペインかぜの表記にも使われた、インフルエンザの総称は?
流行性感冒
国立感染症研究所などは「スペインインフルエンザ」と表記する。英語名に由来する「スパニッシュインフルエンザ」という書き方もある。
Q 11スペインかぜ第1波の流行が1918年4月中旬までに達した戦線は?
西部戦線
同じ時点で米国の中西部と東海岸、フランスの複数の港でも流行が起きていた。その後はフランス全土、イギリス、イタリアなどへと広がった。
Q 121918年にスペインかぜで没した日本の著名人は?
島村抱月
1919年には大山捨松、竹田宮恒久王、徳大寺実則、辰野金吾が、1920年には末松謙澄がこの病で没している。
Q 13スペインかぜ第2波の被害を免れたが、1919年1月に第3波に襲われた国は?
オーストラリア
第3波はこの国で1万2,000人以上の死者を出した。同じ1月のうちにニューヨークとパリにも到達している。
Q 141918年、インフルエンザへの罹患が大きく報じられたスペイン国王は?
Q 21第2波がボストン、ブレストとほぼ同時に始まったシエラレオネの港湾都市は?
フリータウン
1918年8月の後半、変異により毒性の高まったウイルスが3つの港でほぼ同時に流行し始めた。米国では海軍工廠や駐屯地から各地の軍事施設へ急速に広がった。
Q 222018年の再評価で推定されたスペインかぜの世界全体の死者数は約何人?
1700万人
世界全体の推定死者数には大きな幅がある。1927年からの初期の推定は2160万人、2005年の推定は5,000万人からおそらく1億人以上だった。
Q 23歌舞伎役者の公演後に流感が広がり「雁次郎かぜ」と呼ばれた福岡県の市は?
久留米市
雁次郎丈は大阪歌舞伎界の花形役者だった。1918年5月に市内で公演した数日後に流感が流行したことから、この名が付いた。
Q 24ウイルス学者オックスフォードが起源と推定した英陸軍駐屯地のあった仏の町は?
アルフォンソ13世
首都マドリードでは1918年5月頃から第1波についての新聞報道が始まっていた。国王の罹患で報道はさらに大々的になった。
Q 15スペインかぜ第2波をロシア内戦とともに北アジア全域へ運んだ鉄道は?
シベリア鉄道
北アジア全域に持ち込まれた第2波は、その後イラン(ペルシア)にまで達した。ヨーロッパではブレストで始まった流行が1918年9月末までにほぼ全域へ広がっていた。
Q 161918年4月、巡業中の大相撲力士3人が謎の感染症で急死した場所は?
台湾
急死した力士のひとりは真砂石。翌5月の夏場所でも高熱などで全休する力士が続出し、世間では「相撲風邪」や「力士風邪」と呼ばれた。
Q 17ドイツ軍内でスペインかぜは当初、何と呼ばれていた?
フランダース熱
ベルギーの一地方で発症したことにちなむ呼び名。第1波は仏・英・独の各軍で多くの兵士を罹患させ、軍事作戦を大きく混乱させた。
Q 18内務省衛生局の統計による日本のスペインかぜ死亡者は約何人?
39万人
この統計は大正11年(1922年)に刊行された報告書による。肺結核や気管支炎などが死因とされた者を含めて約45万人とする推計もある。
Q 19当時の日本の人口のうちスペインかぜに感染したとされる割合は約何%?
43%
当時の人口5500万人に対し、約2380万人が感染したとされる。日本での患者数・死亡者数は第1波が最も多かった。
Q 20ファンストン基地で飼われていた豚への感染源といわれるガンの一種は?
カナダガン
近くの川や湖に飛来した群れから基地の豚へ、さらに豚から人間へと感染が広がったといわれている。
エタプル
この駐屯地には常に約10万人の兵士が密集し、敷地内には大規模なブタの飼育所があった。周辺の市場からは生きたニワトリやアヒル、ガチョウも持ち込まれていた。
Q 251918年秋、航海中に2千人がインフルエンザを発症した米国の兵員輸送船は?
リヴァイアサン号
約1万1千人を乗せてニュージャージー州の港を出てフランスのブレスト港へ向かった。航海中に80人以上、下船後も含めると合計約200人が死亡したという。
Q 261919年1月1日に病没した西郷寅太郎が所長を務めていた俘虜収容所は?
習志野
日本各地に収容されていた日独戦のドイツ兵捕虜にも感染者が相次いでいた。収容する側の所長自身も犠牲になった。
Q 27最初の症例から数日以内にファンストン基地で報告された罹患者は計何人?
522人
最初の兵士が症状を訴えたその日のうちに、同僚100人以上が同じ病状を訴えた。流行はその後、他の基地や刑務所にも広がっていった。
Q 28イギリスのスペインかぜ総死者のうち1918年最後の3カ月に発生した割合は?
64%
イギリスの総死者は22万8000人とされ、その大半が第2波の時期に集中したと考えられている。
Q 29日本のスペインかぜ死亡者を約45万人と推計した研究者は?
速水融
肺結核や気管支炎などが死因とされていた者も含めた推計で、内務省衛生局の統計値を上回る。
Q 301917年3月、スペインかぜに似た病気が流行した英陸軍兵営のある町は?
オールダーショット
1916年末にはフランスの駐屯地でも致死率の高い新種の病気が流行していた。イギリス軍の病理学者はのちに、これらを1918年の流行と同一のものと結論づけた。