英語版クイズをもとにAIで日本語で作成しました。出典は日本語版ウィキペディアにリンクしています。
ミロのヴィーナスは、エーゲ海の島で見つかった古代ギリシアの大理石彫刻。パリのルーヴル美術館を代表する作品として、世界中に知られている。 このクイズでは、発見と取得のいきさつ、像のつくりや制作年代、作者をめぐる議論、両腕の復元説を取り上げる。 戦時中の避難先や日本での特別公開、絵画・映画への引用など、展示史と受容の話題も出題する。
全30問の答えと解説。クイズで遊ぶ
Q 01ミロのヴィーナスが表す女神の、ローマ神話における名前は?
ウェヌス
像が断片的な状態で見つかったため確実な同定は難しく、ムーサやネメシス、サッポーを表すとする説もある。
Q 02ミロのヴィーナスが出土したメロス島(ミロス島)がある海は?
エーゲ海
島で像を見つけたのはギリシア人農民のイヨルゴ。像の大きな2片と小さな1片が掘り出された。
Q 03ミロのヴィーナスとともに見つかった大理石製の手が持っていた物は?
リンゴ
この手から、像はパリスの審判に由来する果実を持つ女神と早くから解釈された。近年の科学的分析も、手が像の一部だった可能性を支持している。
Q 04第一次大戦後、ミロのヴィーナスと並べる展示案があったダ・ヴィンチ作品は?
『モナ・リザ』
学芸員ポール・ジャモの提案で、ミケランジェロの『瀕死の奴隷』『抵抗する奴隷』も並べる計画だったが、実現しなかった。
Q 05ミロのヴィーナスがミロス島で発見されたのは何年?
1820年
発見の日付は4月8日。翌年以来、像はパリのルーヴル美術館に所蔵・展示されている。
Q 06ミロのヴィーナスをルーヴル美術館に収めたフランス国王は?
ルイ18世
取得の経緯は資料により差があり、国王が像を贈られたとする資料も、購入したとする資料もある。
Q 07ミロのヴィーナスは主にどこから鑑賞される想定で作られた?
正面
背面の仕上げは前面より簡略である。衣文も像の右側のほうが精緻に彫られ、左側は鑑賞者から見えにくかった可能性がある。
Q 08ルーヴル取得後、ミロのヴィーナスがフランス国外へ出た回数は?
1回
その機会は1964年で、東京と京都で特別公開された。
Q 09ミロのヴィーナスは現在、一般に紀元前何世紀の作とみなされている?
2世紀
制作年代は確定していない。日本語の百科事典類には、紀元前130年から紀元前120年ごろの作とする説明もある。
Q 10ミロのヴィーナスが発見された当時、ミロス島はどの国の領土だった?
オスマン帝国
像のそばからは、腕の断片や2体のヘルメース柱も発見された。
Q 11ミロのヴィーナスに使われた大理石の産地はどの島?
パロス島
肌の部分は滑らかに磨かれているが、その他の面には鑿の痕跡が残っている。
Q 12ミロのヴィーナスの頭部や右腕に付いていた冠や腕輪は何製とされる?
青銅
右乳房の下には埋められた穴があり、本来は右腕を支える金属製の枘が差し込まれていたと考えられている。
Q 13ルーヴル取得当時、ミロのヴィーナスと群像をなすと考えられたローマの神は?
マルス
この説では、像は別の人物像に腕を回していたとされた。一方、クララック伯は単独像だったと考えた。
Q 14失われた銘文からミロのヴィーナスの作者とされるアンティオキアの人物は?
Q 21サロモン・レナックはミロのヴィーナスをどの女神の像だと唱えた?
アンピトリーテー
海の女神の像であり、1878年に同じ島で見つかった男神像と本来は組み合わされていた、というのがレナックの説である。
Q 221893年、ミロのヴィーナスは古典期の作ではないと初めて論じた学者は?
アドルフ・フルトヴェングラー
この学者が示した紀元前150年から紀元前50年ごろという年代観は、現在も広く受け入れられている。19世紀の学界では紀元前4世紀の作とする見方が通説だった。
Q 23ミロのヴィーナスを復元せず発見時のまま展示するよう勧告したのは誰?
カトルメール・ド・カンシー
大幅な復元を施さない展示は、当時の通例に反していた。像は群像の一部で、相手の像が失われた以上は復元できないと論じられた。
Q 24サロモン・レナックがミロのヴィーナスの発見地だと唱えた場所は?
アレクサンドロス
銘文の名はハゲサンドロスとも読まれてきた。銘文と像を結びつけることには異論があり、銘文が失われているため証明も否定もできない。
Q 15ルーヴル美術館のオンライン目録が示すミロのヴィーナスの高さは?
204センチメートル
高さは資料により若干の差があり、ポーリー百科事典は203センチメートル、クリストフィリス・マギディスは211センチメートルとしている。
Q 16ミロのヴィーナスを「古代ギリシア最後の偉大な作品」と評したのは誰?
ケネス・クラーク
この評者は像の傾向を建築にたとえ、古典的効果をもつバロック的構成とも評している。
Q 17銘文などから、ミロのヴィーナスが設置されていたと推測される施設は?
ギュムナシオン
像は四角形のエクセドラ状の壁龕から見つかったという。奉納を記念する銘文も出土したが、現存しない。
Q 18第二次世界大戦中、ミロのヴィーナスが保管されたフランスの城は?
ヴァランセ城
像が保護のため移送されていた間、ルーヴルでは石膏複製が代わりに展示された。
Q 19フレーナーの復元案で、ミロのヴィーナスの右手は何をしていた?
衣を押さえていた
1876年に出されたこの案は後の研究者によって発展させられ、クーサーは最ももっともらしい復元と評している。
Q 20第一次世界大戦中、ミロのヴィーナスが避難したフランスの都市は?
トゥールーズ
避難先はこの都市のジャコバン教会で、パリから移された作品はほかにもあった。
石灰窯の跡
この説では、周囲の断片は像と無関係とされた。クリストフィリス・マギディスは、根拠がないとしてこの説を退けている。
Q 25ミロのヴィーナスの発見に立ち会い、掘削を続けさせたフランス海軍士官は?
オリヴィエ・ヴーティエ
この士官は考古学に関心をもっていた。発見時の素描も残しており、そこでは銘板がヘルメース柱の台座として描かれている。
Q 26マルセルス伯にミロのヴィーナスの購入を許可した人物は?
リヴィエール侯爵
この人物は当時のフランス大使で、マルセルス伯はその補佐官。島に着いたとき像はすでに別の買い手のため船に積み込まれていたが、フランス側が介入した。
Q 27ミロのヴィーナスが専用の「ミロのヴィーナスの間」へ移されたのは何年?
1936年
観客数の増加に対応するための移動だった。このとき他のヴィーナス像は取り除かれ、鑑賞者の注意が一体に集中するようにされた。
Q 28ミロのヴィーナスに補われていた石膏製の左足が外されたのは何年?
1883年
現在確認できる修復は比較的少なく、下唇、右足の親指、衣文の一部などに限られる。
Q 29ミロのヴィーナスと同じ彫像型に属するとされるのは、どこのヴィーナス?
カプア
マリアンヌ・アミオの説で、いずれもアクロコリントスの神殿にあった、盾を見つめる女神の崇拝像に由来するという。
Q 30ミロのヴィーナスが1848年まで置かれたルーヴル美術館の展示室は?
ティーブルの間
1821年の設置後まもなく2度移動されたのち、長期的な展示場所としてここに落ち着いた。その後はイシスの間へ移されている。